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東鮓本店
【1】「米へのこだわり」
「あいちのかおり(愛知 県産)」を使用しています。
【2】「砂糖へのこだわり」
上白糖など3種類の砂糖を
ブレンドして使用しています。
【3】「塩へのこだわり」
上質な天然塩を使用しています。
【4】「酢へのこだわり」
酒粕から作る知多半島産の2種類の酢を
ブレンドして使用しています。
【5】「ダシへのこだわり」
天然の上質な昆布ダシを使用しています。




【6】「テリへのこだわり」
穴子すしを代表とする「テリ」は、
「最上醤油」「吉野の本葛」を加えて
穴子の煮汁を大鍋で煮て作られています。
味をさらに引き立てる絶品の
「テリ」を是非、ご堪能ください。
【7】「しゃりへのこだわり」
シャリの味を構成する要素でもあります
「砂糖」「酢」「塩」「ダシ」の素材はもちろん配合にもこだわってまいりました。
この素材のひとつひとつが多くてもすくなくても甘くなったり、すっぱくなってしまいます。絶妙な配分も創業百十余年の経験によるものです。是非、創業以来のシャリの味をご堪能ください。
東鮓本店が誇る素材へのこだわりは、創業以来の伝統と技術が息づく、名古屋の味を支える柱です。
それぞれの素材に対する丁寧な選定と工夫が、唯一無二の寿司の味わいを生み出しています。
1869年からの長い歴史を紹介いたします。

栄広小路通に面した「東鮓本店第二支店」木造三階建て。当時のチンチン電車も写っています。
(明治42年頃撮影)

広小路通に面した東鮓本店の正面入口。
(昭和10年代撮影)

東鮓本店の折詰、包装係の店員さん。
(昭和5年頃撮影)

東鮓本店の和洋食堂の前で、当時のウエイター、ウエイトレス。
(昭和5~6年頃撮影)

名古屋東部覚王山にあった本格料亭「向陽館」の100帖敷の豪華大広間。
(昭和初期撮影)

リニューアル前の本店
(平成10年撮影)

リニューアル後の本店

本社を中区松原に移転
(平成28年撮影)
年月日 | 東鮓本店の歴史 | 日本と世界の歴史 |
|---|---|---|
安政6年(1857年) | 初代横井清七江戸へ向かう | リンカーン大統領活躍スエズ運河工事開始 |
明治2年(1869年) | 清七横浜で修業を終え東鮓を創業 | 東京・横浜間に電信開通 アメリカ南北戦争 |
明治15年(1882年) | 清次郎二代目として家業を継承、東鮓本店と号する | この頃、鹿鳴館が開設される |
大正元年(1912年) | 熊太郎三代目として家業を継承暖簾分け、直営の支店多数 | 明治天皇崩御
大正天皇即位 |
大正2年(1913年) | 東鮓本店二階座敷にて名人・王将坂田三吉と宿敵関根八段との対局があり、4月16日から5日間の激戦の末、関根八段の勝利に終りました。 | 桂内閣総辞職
翌1914年第一次世界大戦勃発 |
大正5年(1916年) | 和食堂として初めて椅子・テーブルを導入 | 目玉の松ちゃんこと尾上松之助に人気が集まる ロシア革命 |
大正12年(1923年) | 高級食料品店「玉水園」を併設 | 関東大震災
ラジオ放送開始 |
昭和5年(1930年) | 高級料理店向陽館を覚王山に開設 | 経済大恐慌
ツエッペリン飛行船世界一周成功 |
昭和18年(1943年) | 戦争激化、企業整備令にて向陽館閉鎖
東鮓本店休業 | 学徒動員令
イタリア無条件降伏 |
昭和20年(1945年) | 東鮓本店戦災にて焼失 | ドイツ無条件降伏
第二次世界大戦終戦(8月15日) |
昭和23年(1948年) | 依託加工方式にて鮓業復活
| 食料品配給公団設立
五百円銀行券発行
ベルリン封鎖 |
昭和26年(1951年) | 株式会社東 鮓本店設立 | 対日講和条約
日米安全保障条約調印
インドネシア スカルノ大統領就任 |
昭和28年(1953年) | 東ビルディング新築 貸しビル業を兼営 | 朝鮮戦争特需
株式ブーム |
昭和34年(1959年) | 愛知県鮓商環境衛生同業組合発足
熊太郎初代理事長就任 | 皇太子殿下御成婚
欧州共同市場(EEC)発足 |
昭和44年(1969年) | サカエチカ店開設 | ミニスカート流行のきざし 万博ブーム いざなぎ景気 |
